役の行者資料館へようこそ

( 本  館 )

大峰山

吉祥草寺

生駒宝山寺


役の行者(えんのぎょうじゃ)について・・・他に役君小角(えのきみおづぬ)、神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)など色々など色々な呼び方がありますが、ここでは以後、「行者さん」と呼ばせていただきます。

私が初めて行者さんと出会ったのは22歳の頃、奈良県生駒山の宝山寺、通称「生駒聖天さん」と呼ばれ親しまれているお寺さんでした。
当時、愛用のカメラを持って被写体を探していたところ、行者さんの御前を掃除しているおばあさんに出会い、写真を撮らせていただいた際、そのおばあさんから行者さんに自分たちがいただいた御蔭について聞かせてもらいました。
梅田にある老舗のお寿司屋さんのおばあちゃんでしたが、「若い頃より夫婦して行者さんに助けてもらっているので、ご主人が亡くなった後も、こうして月1回お参りにきて、掃除をさせてもらっているのだ」とのことでした。
その後、おばあちゃんとは2度ほど訪問しあったのですが、どちらもすれ違いで会うことができず、1年ほど後に亡くなられたことを後日偶然に知りました。
もう、そのことはすっかり忘れていたのですが、出会いから5年後の27歳のとき、ふと思い立ち、月1回そのおばあちゃんの代わりにお参りと掃除をしはじめました。
それ以来、今日にいたるまで奇跡としか思えないできごとで何度もピンチを乗り越えるという御蔭をいただいています。
もちろん、これは体験している本人にしか解らないことですが、私がこの資料館(写真館かな?)を開くきっかけは、つまりそういう事なのです。
なにしろ、私は歴史学者でもありませんので、詳しいことは私が親しく交流していただいている、銭谷武平(ぜにたにぶへい)先生の著書を読まれることをおすすめします。
銭谷先生は大峰山の麓、洞川(どろがわ)で陀羅尼助丸(だらにすけがん)という薬を製造販売している銭谷小角堂という薬屋さんのご長男として生まれられ、行者さんの御蔭を人一倍実感しながら生きてこられたということで、行者さんの研究者としては、日本の第一人者です。


                        

                           銭谷 武平 先生の著書


     役行者ものがたり(人文書院)  役行者伝の謎(東方出版)  役行者伝記集成(東方出版)

     大峯こぼれ話(東方出版)     陀羅尼助(薬日新聞社) など


さて、行者さんに話をもどしましょう。行者さんは西暦634年に奈良県葛城山の麓、現在の御所市茅原の吉祥草寺のある場所でお生まれになり、丁度そのとき数年に一度しか咲かない吉祥草(ゆり科)の花が咲き乱れていたと伝えられています。
しかし、正式な記録としては『続日本紀』にわずかに記載されている文章により実在の人物であり、卓越した呪術者・超能力者であったことを伺い知ることができるだけです。
したがって、ほとんどが言い伝えですが、それによる生涯を簡単にご説明しますと、若い頃より葛木山一帯で修行、続いて大峯山系、箕面、生駒山系などで修行をし、最高の法力である孔雀明王の術を会得、金峯山(きんぷせん)においては蔵王権現を感得、また現在の生駒山系鬼取りでは二人の鬼(前鬼・後鬼)を退治し改心させて家来とします。
そして、修行により会得した能力を使い多くの庶民をすくい敬われ支持される訳ですが、あるとき弟子でもある一言主神(t韓国連広足)の文武天皇への讒言により伊豆島へ配流されます。行者さんは空を自由に飛ぶことができたので、捕まえることはできなかったのですが、お母さんを人質にとられて自ら出頭したそうです。
しかし、配流中も夜な夜な空を飛び富士山で修行をしていたと伝えられています。
その後、行者さんの無実と多大な功績を知った文武天皇は、配流を解きます。
茅原に戻った行者さんは、元通り修行を続けますが、最後は年老いたお母さんを鉄鉢に乗せ五色の雲に乗り西方へ飛び去ります。唐に渡ったと伝えられています。
そして後年、その偉大な功績が認められ後の天皇より『神変大菩薩』の称号が与えられたのです。
行者さんにまつわる伝説は数限りなくあり、その足跡は日本中に渡ります。
1300年以上たった、今尚これほど多くの人達の信仰を集め、慕われ尊敬されている事こそ、正に最高の超能力ではないかと、私は思っています。

                                                       館 長
私の作った木彫りの行者さんです。夜中に少しづつ作業をしましたので、半年ほどかかりました。 木彫りは数体彫りましたが、大変なので、粘土で作ってみました。
粘土での最初の行者さんです。
大阪府南河内郡 弘川寺の行者さんです。立派な行者さんにお会いできて嬉しかったです。 生駒市 岩蔵寺の行者さん。
家の近所の無住のお寺ですが、おそらく誰もが強い何かを感じるであろう不思議なお寺です。
吉祥草寺、行者さんが初めて大峯山に修行に行くとき、自らのお姿を彫ったものと伝えられています。 これも吉祥草寺の行者さんです。
このお寺には他に行者さんのお母さんの坐像も祀られていますが、お写真の掲載は控えておきます。
吉祥草寺の前鬼です。
前鬼は男性、後鬼は女性だそうです。夫婦という説もあります。
吉祥草寺の後鬼です。
吉祥草寺の五大明王の内、大威徳明王です。どの明王も迫力満点の素晴らしい出来栄えです。 吉祥草寺、行者さんの産湯に使用した井戸との言い伝えです。
東大阪市の興法寺、ここの行者さんも大きくはないけれど、すごく良いお姿です。このお寺は庭も凄く綺麗にされていて素晴らしいです。 興法寺正門、門に向かう石畳、その向こうに見える庭は、きれいに手入れが行き届いていて、絵のよう。
興法寺に続く石畳、紅葉が何とも言えないほど美しい。石切から延々急勾配を登ってきた苦労が報われた瞬間。 興法寺の庭、それほど大きくないけれど、手入れが行き届いていて、いつまでもいたいような、落ち着く庭です。
四条畷市の正法寺の行者さん 私の粘土製の第3作目位の行者さんです。
第一別館
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